観光業界専門紙「トラベルニュースat」おすすめ国内魅力再発見の旅

白州正子が愛した"かくれ里" 滋賀・東近江

09/09/25

今なお多くの人をひきつけてやまない随筆家の白洲正子さん(1910―98年)。白洲さんは随筆・かくれ里の中で「秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも『かくれ里』の名にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである」と評し、近江は足繁く訪れるお気に入りの地だった。数多くの著作のうち、特に東近江を描いた作品から抜粋して紹介し、白洲正子さんが愛した"かくれ里・東近江"の一端に触れてみたい。

田園や湖の景色・・・思いがけない発見 珠玉の随筆でたどる

安土町の観音正寺。JR琵琶湖線を挟んで安土城跡と対峙する繖山(きぬがさざん)の山腹に建つ。「天辺に観音正寺という古刹があり、西国第三十二番の札所になっている。五百メートル足らずの山なのだが、麓から頂上まで、けわしい自然石の石段で、石段というより、岩場といった方がふさわしい、そんな所を私は、たった一人でよじ登ったのである」(かくれ里)と、ずいぶん心細い気持ちで白州さんは登った。ようやく登り終えて白洲さんは息を呑む。「頂上へ辿りついた時は、ほっとした気分で、紫にけむる蒲生の野べを見渡して、『観音浄土』とは、正にこのことだと思った」(同)。

繖山の裾を東へ向かっていくと、近江商人発祥の地である東近江市の五個荘に出る。白洲さんは、まちはずれの石馬寺(いしばじ)を拝した。「苔むした自然石の石段がつづく。(中略)下から見あげる茅葺きの本堂は美しい」(同)と描写し、お堂の中へ。「私の興味をひいたのは、水牛に乗った大威徳明王であった。等身大一木作りの、のびのびとした彫刻で、ことに水牛がすばらしい。頭をちょっと左にかたむけ、恭順を示しながら、一朝事であれば飛び出しそうな気配である」(同)。

同じ東近江市の石塔寺では「石塔寺へ最初に行ったのは、ずいぶん前のことだが、あの端正な白鳳の塔を見て、私ははじめて石の美しさを知った」(同)。白洲さんの随筆には石が頻繁に出てくるが、もしかするとこの塔との出会いがきっかけだったのかも。

石塔寺

白州さんが石の美しさを知る
きっかけになった石塔寺の塔

竜王町から日野町にかけては、この地の竜神信仰に興味を抱く。「ほんとうの竜王山は日野の奥にあり、日野川はそこから発して、湖南平野をうるおし、雪野山(竜王山)の北で湖水に入る。竜神の信仰は、この川にそって、はるか南の山中から北上したというのである」(近江山河抄)とし、この辺り一帯と帰化人との関係に思いを馳せる。そして竜王寺に参る。「雪野寺は現在『竜王寺』という禅宗の寺になっている。が、通称『野寺』ともいい、その方がこういう所の景色にふさわしい」(同)と、境内から見下ろす竜王の盆地の景観に感嘆した。

日野町の眺めも白洲さん好みだった。「蒲生野もこの辺まで来ないと、ほんとうに広いという実感が湧かない。見渡すかぎりの肥沃な平野に、日野名物の赤かぶが干してあったりして、実にのんびりした景色である」(同)。そして町中も。「日野はそれから幾星霜を経て、近江商人の根拠地となった。彼らが帰化人の直系の子孫とはいわないが、その商法には日本人離れのしたものがある。(中略)今も町内を歩いてみると、どっしりとした構えの家が立並び、白銀町、鍛治町、呉服町、紺屋町、塗師町などの町名に、昔の繁栄を偲ぶことができる」(同)とし、各家の塀に格子状ののぞき窓がついていることに気づく。これは馬見岡綿向神社の祭礼を見るための窓で「町全体が神社を中心に生活を営んでいる」(同)からなのだという。

近江八幡市では長命寺と日牟禮八幡宮。「近江の中でどこが一番美しいかと聞かれたら、私は長命寺のあたりと答えるであろう」(同)とたたえ、八幡宮に近い入江から長命寺方向を望むと「近江だけでなく、日本の中でもこんなにきめの細かい景色は珍しいと思う」(同)としている。

長命寺

近江の中で一番美しいと評した長命寺

近江山河抄に、こんなくだりがある。「このような石塔はお寺の中に建っているより、自然の中で見る方が美しい。それもなるべくなら思いがけなく出会った方がいい。近江はその点理想的なところで、地理や古美術に詳しい宇野さんさえ、山を歩く度毎に、新しい発見をするといわれている」。それが、白洲さんを何度も近江に通わせた理由だったかもしれない。

日本旬紀行 旅のおすすめサイト

購読申し込み
夕陽と語らいの宿ネットワーク
まちづくり観光研究所
地旅
関西から文化力
トラベルニュースは
文化庁が提唱する
「関西元気文化圏」の
パートナーメディアです。
九観どっとねっと
ページ
トップへ