“民の力”で迎えた市制100年・北海道小樽市(3) 「小樽ガラス」が紡ぐ歴史と未来−シンポジウム1
小樽の代名詞でもある「小樽ガラス」についても市内の関係者20人が参加しミニシンポジウムを開催。ガラス造形作家でザ・グラス・スタジオ代表の淺原千代治さん、小樽商科大学グローカル戦略推進センター客員研究員の高野宏康さん、オーセントホテル小樽料飲総支配人が登壇し、小樽ガラスの歴史やブランディングに関して意見を交わした。
発祥地の大阪からご縁で移住 淺原さん
−小樽ガラスとの関わりを含めて自己紹介をお願いします。
淺原 大阪から1979年、43年前に小樽へ移住してきました。生まれる前からガラスに関わり、私で4代目になるガラス製造を生業としている家に生まれました。大阪はガラスの発祥地で、大阪天満宮の脇に「ガラス発祥の地」という石碑が建っています。参勤交代の時に長崎のビードロを江戸に持っていく時に、大名が大阪に寄ってワイングラスを自慢していました。高価なものだから大阪でも作ろうというのが始まりで、大阪の商人魂を発揮し努力したようであります。それで天満山でガラス屋を始めるわけです。その後、明治9年に官立の硝子製造工場が品川にできたのですが、うちは明治20年ぐらいの創業だったかと思います。親せきの長谷川家から祖父母が継いで、淺原硝子になりました。ガラス屋に生まれ、ガラス屋で育って、いまだにガラスを続けている淺原でございます。
高野 私は研究者として歴史をいろいろと調べています。石川県出身で北前船つながりで小樽に関心がありました。小樽は明治以降に急激に発展していったまちです。本州より歴史は短いですが、その間にいろいろなイノベーション、創造が起こりました。その一つがガラスです。浮玉ガラスという漁具から始まり、1980年代に北一硝子がガラス製の石油ランプを観光資源化しました。これが観光都市としての小樽の一つの契機になっています。もう一つはアート作品というクリエイティブな小樽ガラスで、吹きガラスの体験できる施設ができたことです。これは、淺原さんがスタジオガラスと称して始められた画期的なことで、それまで工房を観光客が見学することは日本のガラスの歴史であり得ないことでした。そういった大きなイノベーションを小樽の歴史で起こしてきたガラスについてお話ししたいと思います。
野田 オーセントホテル小樽は新日本海フェリーグループで、新日本海フェリーが半世紀を超えて小樽の観光やまちに寄与してきた中で、今から24年前に開業しました。本物を目指すホテルとして、なかでも飲食に関しては北前船のストーリーを受け、西日本の素材や伝統技術と北海道の新鮮な選りすぐりの素材をお届けしています。この食を起点にして私の役職が「料飲」となっている通り飲むという字は食に欠くと書きますが、生理的に体内を潤わせる効果であったりだとか、飲むことにより食べることの掛け算で新しい味わいを作ったりだとか。そういうことで小樽の観光、ガラス、飲む、食べるを何かしら発展させ、お届けできればと考えています。
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