女工哀史のもう一つの歴史
前回に続いて明治から大正、昭和にかけて日本経済をけん引した絹産業のドキュメント映画「シルク時空(とき)をこえて」について書く。監督の熊野友幸さんは長野県伊那谷出身で山の映像やドキュメンタリーを多く撮ってきたという。絹産業と長野県南部といえば小説や映画で有名な「あゝ野麦峠」が思い浮かび、女工哀史を連想せざるを得ない。
特に映画「あゝ野麦峠」は、寒村の貧しい娘たちを劣悪な環境で働かせる姿が描かれ、身体を壊した大竹しのぶ演じる女工が野麦峠にさしかかったとき「飛騨が見える」といって亡くなるシーンが印象に残っている。それもあって女工=過酷な労働というイメージが定着しているが、熊野監督がシルク―を撮るきっかけは「地元の人たちに我々の先祖はあんなにひどいことをしたのか調べてほしい」と言われたことだそうだ。
取材を始め調べていくと「確かに女工哀史の一面もあったがそれだけでなく、工場側は女工さんにきちんと食事を出し、教育をしていた写真が出てきて『仕事は楽しかった』と語る元女工さんの話も聞くことができました」という。
本紙もイメージや伝聞を鵜呑みにすることなく、しっかりと人の話を聞くことで「真の姿」を紙面で伝えたいと新年早々誓う次第です。ご期待ください。
(トラベルニュースat 23年1月25日号)
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