講釈師が語る黒雲の辰その六 積悪の報いも老中の印が押されず
「或遭王難苦、腹減った、臨刑欲寿終、飯食うで、念彼観音力、もう寝るわ、刀尋段々壊」女房の方も糸車を取る手で「或遭王難苦、臨刑欲寿終、念彼観音力、刀尋段々壊」とやっておりますから、二人は村人より「とうじんだんだんねの夫婦じゃ」とあだ名されるようになった。根が正直な人だけに庭へ石塔を建て、そこには、助けられた享保五年五月二十八日、俗名「黒雲の辰」とまだ存命であるから朱色で墓に刻みました。信兵衛にはお経の意味は分かりませんが、ただ命を助けてもらって有難いの一心、朝な夕なに拝んでおります。
やがて十年の歳月が流れます。彼の黒雲の辰、今では手下も百名からある名代の賊。けれども積悪の報いはどうしても受けなければなりません。ついにお上の手に捕えられました。十両盗めば首が飛ぶ徳川時代、江戸市中引き回しの上、鈴ヶ森に於いて獄門。しかし、いくら江戸時代とは言え、役人が勝手に首を落とすことはできません。まずは奉行が罪科を決め、次にお上へ書面で届け、更にお裏印(裏判)を月番の御老中が押し、初めて死罪と定まります、只今でも死刑執行に際し法務大臣の判が要るのと同じことで。
其の頃、江戸で南町奉行を勤めております大岡越前守、随分と多くの裁きを引き受けましたが、其の内でも此の黒雲の辰は、まっこと珍しい賊。何しろお調べの最中に「首を落とすなら此の我を」と身代わりの手下が後から後からやって来る。
これには越前守も
「彼の者は賊ではあるが、どこか平素の心掛けに優れたところがあるに違いなかろう。生きとし生けるものは、鳥獣の類までも命を惜しむが、其れを捨てようと言う者が十名を越えた、どうか助けてやりたい」…
(旭堂南龍=講談師)
(トラベルニュースat 2025年12月10日号)
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