講釈師が語る黒雲の辰その三 信兵衛、川から女に救われる
「待ちな」と鋭い一声、振り返れば、矢筈飛白(やはずがすり)の衣類、爽やかな帯、御守殿(ごしゅでん)風に着こなしたお屋敷勤めと思しき女が一人
「助けると思うて死なしとくなはれ」「何を無茶なことを。待ちなと言えば待ちな」「どう仕様もないんやさかいに、ほっといておくんなはれ」「こりゃまた、心得違いのことを。私も止めるからには、それだけの言い分があるから止めるんだ。年端も行かぬ女だてらに生意気なこととお笑いもございましょうが、私の気性では放っておけません。死は得易く、生は得難いもの、助けられた後でどうして死ぬ気になったんだろうと、悔やむ場合が幾らでもあります。兎に角、私と一緒に」
と無理矢理手を取り、橋を渡れば小料理屋「御免なさいね、二階を借りますよ。さぁお爺さん、こっちへお上がり」
女中衆が差し出した雑巾で足を拭えばトントンと二階へ、信兵衛は呆気に取られて従うばかり「お陰で、ズブ濡れになっちまった。よくよくのことで死ぬ気になったんだろう。一体どういう訳なんだい」「わしゃ、大和は黒木村の百姓で信兵衛と申します。小石川の黒木大和守が、わしらのお殿様で、今度御出世をなさるさかい、ついては御用金が要る言うて、知行所の百姓から集めてわしが国表より遥々と持って来たんでやすが、両国橋で巾着切りに盗まれてしもうたんや。それで申し訳に身を投げようとしてたんでやす」「幾らだい」「言うてもあかん。大金や」「兎も角言ってごらん。金の高を聞いて、こりゃ私でも駄目だと思ったら又欄干から突き落としてあげるから…
(旭堂南龍=講談師)
(トラベルニュースat 2025年9月10日号)
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