旅館とともに50年コラム
高級和風旅館の時代
昭和最後・平成最初の1989年までの10年間、温泉観光地旅館の宿泊客売上構造が様変わりしている。 TMC時代最後のアンケート調査によれば89年の「宿泊客売上に占める宿泊料売上(1泊2食付)の割合60%以上」の旅館が81%にのぼっている...
鳥羽シーサイドチーム
社年が改まったのを契機に、文の調子を変更します。 前号の「外国人観光客のための宿泊施設等に関する調査研究」に係る費用は財団法人日本船舶振興会=現在の公益財団法人笹川平和財団の補助金によるもので、当時は日本観光協会の調査等についてもその...
施設協会でいきなりの大役
社団法人国際観光施設協会(以下「施設協会」)に入会したのは1991年春ごろ。常務理事の友田仁さんに連れられた私を待っていたのが、副会長の柴田陽三さん(観光企画設計社社長)、加藤寛二さん(翼建築設計事務所社長)という、お二人とも後に会長になら...
国際観光施設協会
持つべきは友。芝商から伊藤忠自動車に同期入社した友人が行政書士として独立していたので、リーコ設立登記業務を一切お願いしました。またメインバンクは近所の大手都市銀行の本部に勤務していた芝商同級生に支店長を紹介してもらい、そこに決めました。 ...
株式会社リーコ設立
新会社の体制をどうするか、2年くらい前から考えていました。 後継者を育成する、という選択肢は持たず、旅館業のコンサルタント市場は狭いので売上が不安定であり、常勤者は自分と事務員の2名とし、小さな仕事は自分1人で、その他は基本的に請負、...
なぜ変わらない旅館料理
直営営業所のセールスマンが「こわい」と言うほど宿泊料が上がり続けている1980年代の終わり。「TMC-MEMO」に「賃金を3割上げよ」のタイトルで、旅館従業員の賃金を上げる一方、1人3役の働き方を考えるべきと提案しました。賃金を上げないと人...
TMC最後の欧州調査団
TMCが解散するならぜひうちに来てほしい、と「月刊レジャー産業」等を刊行しコンサルタント業も営んでいる綜合ユニコムから嬉しいお誘いがありました。しかし「自分の思い通りにやってみたい」という気持ちが勝ってお断りしました。そして、自分で会社を設...
TMCの解散決定
1989年、某県で3年連続法人所得ランキング入りを目標としている旅館経営者の話を聞く機会がありました。「水は低きに流れ、金は高きに流れる」と言います。つまり「利益を上げる体質になると資金に余裕ができ、例えば固定資産税を前納すると、還付金は固...
村上ムッシュウ
86年春、札幌市の北海道自治会館(北海道市町村職員共済組合)を経営診断の結果、全面改築することが決定しました。ホテルポールスター札幌としてオープンする直後までのコンサルで2年半、ほぼ毎月札幌通いです。 新ホテルは婚礼にも力を入れ、旧施...
田辺英蔵氏と旅館業について対談
86年「レジャー産業」6月号で「田辺英蔵の連載対談・これからのレジャー産業を考えるTALK&TALK」のゲストに呼ばれました。田辺英蔵さんといえば、後楽園スタジアムの副社長、その後に熱海後楽園ホテルの社長を務められた業界の大先輩です。 ...