旅館とともに50年コラム
旅館の長い労働時間
住居が落ち着き、通勤時間の半減で仕事への集中度が高まります。経営診断中心の顧客も国家・地方公務員、公立・私立学校教職員、農林漁業団体職員の共済組合のほか、社会保険庁(厚生年金、国民年金の施設)、雇用促進事業団(ハイツ、いこいの村)など順調に...
東急沿線 横浜市民
前回掲載のヨーロッパ旅行では、家を25日間も留守にしました。6歳と3歳の娘は、旅行の前半は叔母の家、後半は妻の姉の家で預かってもらいました。両家にはたいへんな迷惑をかけ、娘たちにも寂しい思いをさせて申しわけなかったと今でも思っています。 ...
沖縄とヨーロッパ
72年、日本に返還されると沖縄での仕事が出てきました。初仕事は、那覇市の企業が宮古島にホテルを建設し、本土で旅館のチェーン化を進めているS社に運営委託したいという話で、S社から宮古島の立地条件の調査依頼です。調査の結論は「時期尚早」となりま...
朝食バイキングとボウリング場
70年代前半、旅館業界では「朝食バイキング」と「ボウリング」が話題でした。観光地旅館の朝食方式にセルフサービスと「バイキング」という名前を初めて持ち込んだのは、水上温泉のホテル聚楽です。その成功は、たちまち大・中規模旅館の朝食スタイルを「バ...
片道2時間通勤へ
72年、3歳下の次女誕生により約定どおりアパートを出ます。「家賃よりローンで戸建て住宅」のステップとして、千葉県住宅供給公社が5年間転売禁止の条件付きで開発した市原市内団地のテラスハウスを購入しました。 交通不便な立地なので総武線西千...
公的機関も顧客に
出版物やスライド教材「客室係の一日」の販売とTMC会員への勧誘を目的に、初めて国際ホテルレストランショー(当時の会場は晴海)に出展したのは1966年(昭和41年)でした。来訪した旅館経営者に財務データ記入表を手渡し入会申込書とともに記入、郵...
昭和50年代のレジャー産業
1960年代の半ばに、那須ビューホテルを中心に高級旅館が集まって、ロイヤルチェーンというボランタリーチェーンを作りました。TMCの池田誠治、エイエイピー・旅研の土屋金康さんが顧問で、事務局は当初TMCのデスクを貸し、事務員は女性一人でした。...
結婚、そして旅テル
入社2、3年後、27―28歳のころには一人で旅館を訪問して計数管理などのコンサルをするようになりました。数回お邪魔した旅館の東大卒の社長から「佐藤さんを支配人にほしい」と申し出があったけど断った、と先輩の話があり、他の旅館の女将から、うちの...
経営診断のプロへ歩む道
1966年、結婚式場を対象にセミナーをやろうという話が出てきて、池田さん(全員、さん付けで呼び合うルール)と私が担当することになりました。情報を集めているうちに、大久保の三福会館・年間1万組、明治記念館・5千組、東京厚生年金会館・4千組の結...
草創期の観光研究者と人脈
1960年代は、団体旅行全盛時代。「7畳半」の客室が流行していました。一般的な和室に布団を敷くのに、4人分なら8畳の客室なのですが、正方形である8畳に3人の布団を並べて、1人分はその頭の上に横向きに敷くという、収まりの悪さ。そこで6畳の横に...